「私、何かしたんでしょうか」——原因を聞かれたときに何を渡すか
強い痛みほど、きっかけが思い当たらない。患者さんは決まって「私、何かしたんでしょうか」と聞く。ここで「わかりません」と答えれば不安が残り、無理に一つの原因を名指しすれば嘘になる。原因は一つではないこと、今の体はこれまでの積み重ねであること——それを責めずに渡すための説明の順番と、そのあと生活指導をいつ出すかの設計を書く。
痛みが強い人ほど、きっかけが思い当たらない。だから決まってこう聞かれる。「私、何かしたんでしょうか」。この質問に、私たちは毎日答えている。「わかりません」で止めれば不安が残り、無理に一つの原因を名指しすれば嘘になる。この短い問答の設計は、その後の通院そのものを左右する。私が診察室で使っている順番を書いておく。
強い痛みほど、きっかけがない
臨床を続けているとよく分かることがある。ぎっくり腰のように「その瞬間」が特定できるものは、むしろ説明が楽なのだ。持ち上げた、ひねった、足を踏み外した——因果が見えているぶん、患者さんも納得しやすい。
やっかいなのは、思い当たることが何もないのに強い痛みが出ているときだ。本人の実感としては「何もしていないのに、こんなに痛い」。だから最初の質問がこうなる。
「私、何かしたんでしょうか」
この問いには、単なる知的好奇心以上のものが乗っている。原因がわからないという状態そのものが、不安の本体になっている。前の「腰痛の85%は原因不明」は本当かで書いたとおり、いまは患者さんのほうが「原因不明」という言葉を先に持って来られることも多い。
「わからない」と「一つに絞らない」は違う
ここで治療家がやりがちな失敗が2つある。
失敗1=「わかりません」で止める。 誠実に見えて、患者さんには何も残らない。残るのは不安だけだ。原因がわからないと言われた人は、体の使い方を変える動機まで失う。
失敗2=一つの原因を名指しする。 「これは骨盤の歪みですね」「猫背が原因です」。話は早いが、たいてい嘘になる。しかもこの嘘は、あとで効かなくなったときに全部返ってくる。
私が取るのは、その中間だ。
原因を一つに絞ることは難しい。ただ、なぜこうなったかの筋道なら説明できる。
原因の特定と、成り立ちの説明は別のものだ。前者は約束できないが、後者は渡せる。この区別が、この問答のすべてだと思っている。
今の体は、これまでの積み重ねでできている
私が実際に話しているのは、こういう順番だ。
まず、原因は一つではない、と先に言う。
厳密に本当の原因を探ろうとすれば、「今までどんな人生を送ってきましたか」という話になってしまう。今の体は、それまでの生活の集大成だからだ。だから原因を一つに特定することは、ほとんど無理だと正直に伝える。
そのうえで、成り立ちを渡す。
日々のちょっとした負担が積み重なって、ある日それが表に出る。 火山の噴火に似ている。噴火した日に特別なことをしたわけではない。長い時間をかけて溜まっていたものが、たまたまその日に出た。だから「何をしたか」を探しても、多くの場合は見つからない。
この説明には副産物がある。患者さんが「自分の不注意でこうなった」という自責から降りられることだ。何かをやらかしたからではなく、積み重ねだった——そう理解できると、体の話を落ち着いて聞けるようになる。
なお、体が悪くなっていく順番そのものについては痛みも病気も、たどれば同じ根本に、症状をキャパ超えの訴えとして読む見方は体には口がない、だから症状で訴えるに書いた。ここではその内容を、初対面に近い場面で、短く、責めずに渡すことだけを扱っている。
「負担」は、重い物を持つことだけではない
患者さんが自分で負担を棚卸ししようとすると、たいてい物理的なものしか挙がらない。重い物を持った、長く立った、といったものだ。
だが実際には、忙しさも負担、心配ごとも負担である。役職や役回りを引き受けていて予定が詰まっている、家のことで気が休まらない——こうしたものは、本人の自己申告にはまず出てこない。だからこちらから聞く。
そしてもう一つ、本人が負担だと思っていない負担がある。私が必ず確認するのは、次の2つだ。
- 移動手段(自転車・バイク・車のどれが主か、1日にどれくらいか)
- 睡眠時間
自転車は特に取り違えられやすい。世間では「自転車は運動だから体にいい」と思われている。だが座り続けることと、路面からの衝撃を受け続けることが同時に起きる乗り物でもある。ここは言い方を間違えないようにしている。
⚠️ 自転車を悪者にしない。 「乗るのをやめてください」ではない。座位と衝撃という負担の条件があるので、そこに手当てをしましょう、という中立の枠で渡す。車もバスも同じ枠だ。この扱いはDAIKOKUメソッドの臨床根拠の方針どおりで、患者さんの生活を取り上げる話にしてはいけない。
睡眠も同じで、「短すぎます、もっと寝てください」とは言わない。体が修復されるのは寝ている間なので、単純に、少しでも長く眠れれば修復にあてられる時間はそのぶん長くなる——機序だけを渡して、あとは本人に預ける。指示ではなく情報にしておけば、守れなかったときの負い目を作らずに済む。
責めない——これがないと、この説明は使えない
ここは強調しておきたい。
生活習慣の話は、そのまま出すと患者さんへの非難になる。忙しくしてきたのも、睡眠を削ってきたのも、たいていはその人が真面目にやってきた結果だ。そこを咎める資格は私たちにはない。
だから私は必ずこの一言を挟む。
「これは、あなたのことを言っているのではなくて。すごくよくあることなので」
渡すのは鏡であって、判決ではない。この構えがないなら、原因の説明はしないほうがましだと思っている。
そしてもう一つ、変化が出た人への返し方も決めている。1回の施術で変化が出たとき、それを全部こちらの手柄にしない。施術ありきではあるけれど、その方自身の回復する力と重なって結果が出た——そう返す。自分の体は良くなる力を持っている、と本人が思えるかどうかで、その後の経過は変わる。
そのうえで、生活指導は「まだ出さない」
ここが実務の分かれ目になる。
原因の説明をすると、多くの治療家は流れでそのまま生活指導に入る。私は入らない。初回に生活の宿題を積まないと決めている。
理由は単純で、忙しい人に宿題を積むと、治療そのものから離れていくからだ。しかも体には口がないで書いたとおり、セルフケアの優先順位が睡眠より上に来た瞬間、そのケアはキャパを削る側に回る。良かれと思って渡したものが、負担の側に足されてしまう。
だから伝えるのはこうだ。
治すために、自分で何かを頑張らなくていい。普通に生活してもらって、定期的に来てもらう。それだけでいい。
ストレッチを一生懸命やっている方には、それも今はしなくていいと伝える(理由は良い姿勢・ストレッチ・筋トレを「しない」理由と「やらない努力」をなぜすすめるのかに書いた)。
生活の地図をまとめたA4一枚を渡すときも、渡し方を決めている。「これを全部やってください」ではなく、「まず、知ってください」。義務にした瞬間、実行率はむしろゼロに近づく(DAIKOKUメソッド A4一枚)。
生活指導は「取っておく札」にする
では生活指導をいつ出すのか。私は経過が思ったより遅いときに、一つずつ出すようにしている。
最初から全部渡してしまうと、効いたのか効いていないのかが分からなくなるし、患者さんの負担も一度に増える。手札として持っておいて、必要になった局面で一枚出す。
たとえば自転車なら、サドルの高さ・ペダルに乗せる足の位置・ハンドルの握り方という具体がある(患者さん向けの説明はだいこく式・自転車の乗り方にまとめてある)。これを初回に全部渡すのではなく、経過を見ながら出す。
施術中にその場で一つだけ渡すこともある。渡すときの言い方はこうしている。
「もし覚えていたら、家でもやってみてください」
覚えていたら、でいい。この温度で渡すものは、不思議と残る。逆に「必ずやってください」で渡したものほど消えていく。
⚠️ 念のために書いておくと、これは出し惜しみではない。手抜きでもない。一度に渡す量を制限することが、実行率を上げるための設計だという話だ。続けてもらう設計そのものは「続けてもらえない」は患者さんの意志ではないに書いた。
通院の見通しも、正直に短く
原因の話の締めくくりに、見通しを渡す。ここでも盛らない。
- 体はすぐには変わらない。数ヶ月の単位でコンスタントに通ってもらう必要がある、と最初に言ってしまう。
- ペースは無理なく続けられる間隔にする。「短期間にぎゅっと詰めて通う」より、続く間隔で続けるほうがいい。体は詰めたからといってその速さでは変わらない。
- これは実録・朝の一歩目のかかと痛で書いた「回数×期間の掛け算で、主役は期間」と同じ考え方だ。
最初に見通しを渡しておくと、途中で変化が鈍った時期が来ても「そういうものだと聞いている」と受け止めてもらえる。ここを省くと、3回目あたりで来なくなる。
この説明を使う前に、必ず先にやること
⚠️ 最後に順番の話をする。この「積み重ね」の説明は、危険な病気を除外したあとにしか使えない。
進行する筋力低下、排尿排便の異常、サドル型の感覚障害、発熱、体重減少、夜間の激しい痛み、がんの既往、外傷の直後——こうしたサインがあるときに「生活の積み重ねですね」と説明したら、それは見落としになる。医療機関の受診が先だ(施術しないという技術)。
診断は医師の役割であり、私たちが立てているのは施術のための見立てである。この順番だけは、どんなに患者さんが不安がっていても動かさない。
※ここに書いた説明の組み立ては、**私の臨床経験に基づく考え方(私見)**であり、科学的に証明された定説ではありません。
まとめ
- 強い痛みほど、きっかけが思い当たらない。だから「私、何かしたんでしょうか」と聞かれる。
- 「わかりません」で止めない。一つの原因を名指しもしない。 渡すのは原因の特定ではなく成り立ちの説明。
- 今の体はこれまでの積み重ね。日々の小さな負担が溜まって、ある日表に出る(噴火の比喩)。これが自責から降ろす働きをする。
- 負担は物理的なものだけではない。忙しさ・心配ごと・移動手段・睡眠まで含める。⚠️自転車は悪者にせず、座位+衝撃という条件に手当てをする中立の枠で。
- 責める説明なら、しないほうがましだ。「これはあなたのことではなく、よくあることです」を必ず添える。
- 初回に宿題を積まない。普通に生活してもらって、定期的に来てもらう。 生活指導は経過が遅いときに一つずつ出す札にする。
- 見通しは最初に、正直に、短く渡す。回数より期間が主役。
- ⚠️ この説明は、危険なサインの除外が済んだあとにしか使えない。診断は医師の役割。

大黒 充晴院長/柔道整復師(国家資格)
枚方市・大黒整骨院 院長。臨床23年・延べ5万人以上の施術。電気や温熱の機械を使わず、関節の数mmのズレとファシア(筋膜を含む結合組織)への手技を軸に施術する。